支部名称 創設 創設の経緯
旭川支部

昭和27年12月

 創立40周年記念誌によれば昭和3年には支部が在ったがその活動内容などは不明。その後中島良治氏(旧制25回)を中心に非公式な会合を開催していた。昭和27年新聞広告掲載で同窓生を集い、集会を経て支部を結成した。
札幌支部

明治32年7月1日

明治32年7月1日、函館尋常中学校商業専修科より函館商業学校として独立、同志会も再発足しその支部として函商同志会札幌支部が誕生する。昭和27年には函商札幌校友会として再発足した。現在の名称は函商札幌同窓会。
苫小牧支部

昭和41年1月14日

昭和35年頃より同窓生が集い合い前身活動を行っていた。昭和41年1月14日苫小牧函商会を創設し苫小牧支部として本部へ届出のうえ正式に活動を開始した。
八雲支部

昭和21年1月

昭和20年山下助太郎氏(旧制22回)が支部創設を発議する。安藤太郎氏(旧制26回)が中心となり、坂本堅太郎氏(旧制16回)が協力し、準備を進め支部創設を進めた。
松前支部

昭和48年8月14日

昭和48年8月14日松前支部創立総会開催。本部より早坂先生が参会し質疑に応じ助言を以て協力。平成18年4月1日より懇親会を中心とした活動に移行した。令和5年には新制36回生飯田幸仁氏が支部長に就任された。

福島支部

昭和55年2月29日

松前支部創設当時においては既に多くの福島在住者が存在し、また会員が徐々に増加した。また松前との距離問題もあり独立を希求する声が高くなり、昭和55年2月29日開催の松前支部総会で独立が承認され発足した。
青森支部

昭和30年

昭和9年には青森市内在住の竹中喜一郎氏(旧制15回)、岩田周蔵氏(旧制26回)、高橋文雄仕(旧制27回)など多くの同窓生が一同に会し歓談、実質的な同窓会活動を行い支部を形成していた。世話人が不在となり一時中断していたが竹中氏、高橋氏の復帰により再び同窓会活動が活発となり支部結成の気運が高まり、昭和30年に正式に創設した。
仙台支部

昭和30年

昭和30年頃同窓生でもある母校旧職員(内藤昇氏旧制24回)が中心となり在仙の同窓生に呼びかけて支部を創設した。
東京支部

昭和7年

脇野駒三氏(旧制2回)が中心となり東京在住の同窓生の親睦を図る目的で函商校友会東京支部として発足。昭和35年10月東京函商同窓会へ改称した。明治32年9月の集会活動が確認されたことにより明治32年7月1日が発足に相当するものと考えられる。
名古屋支部 昭和33年1月 母校の吉田清先生が支部結成促進の為来名、在名同窓生の発起により昭和33年1月に支部を創設した。
関西支部 昭和34年1月

母校の支部結成促進により、町野正雄氏(旧制27回)が在阪の同窓生を纏め昭和34年1月に関西支部を創設した。

令和5年10月、運営に困難を来し解散することとなった。

定時制部会 明治34年 大正8年2月16日に函商補習同志会例会(第10回)が開催されており、それから遡り明治43年が発足と考えられる。平成8年1月18日、函商同窓会ともしび会へ改称する。
室蘭支部 昭和3年 城谷豊作氏(旧制16回)の記憶に依れば「大正7,8年頃に鉄道集会所付近で室蘭在住の同窓生が集まり同窓会が複数回開催された」とのこと。その後正式な支部設置までは至ってはいない。昭和3年には支部開設の気運が熟し衆望を担い瀬川祐二氏(旧制12回)が中心となり支部を創設した。 
七飯支部 昭和48年2月2日 昭和46年支部創設委員会を組織、七飯在住の同窓生の確認と名簿を作成した。昭和47年4月本部により世話人草野鎮照氏(新制4回)、澤村隆氏(新制8回)を確認する。昭和48年2月2日には七飯支部(七飯函商同窓会)として創設する。
釧路支部 昭和30年 白石初男氏(旧制39回)を中心に釧路市長の菊池三之助氏(旧制7回)や森喜一郎氏(旧制31回)などが発起人となり道東支部として創設した。現在活動は不明。
木古内支部 昭和52年11月20日 以前より在住の同窓生間で話題されていた支部設立につき有志が集合し協議された。昭和52年10月16日には支部設立発起人会を開催し、これを受けて昭和52年11月20日に木古内支部(木古内函商会)を設立した。
鹿部支部   昭和47年4月本部により支部長桜田政治氏(旧制41回)を確認。本部が近いため総会にも参加できるので、現在特に活動はしていない。
江差支部   増田章三氏(旧制22回)、滑川正行氏(旧制34回)、中村三郎氏(旧制40回)らが中心となり支部活動が行われた。昭和47年4月、本部により支部長増田章三氏(旧制22回)を確認しているが、三氏の逝去後の活動は不明。
日高支部 昭和15年6月15日 鈴木初太郎氏(旧制20回)の尽力により、紀元2600年を記念して支部を設立した。平成14年4月苫小牧支部と合併、自然解散となる。
上磯支部 昭和21年1月 終戦直後の上磯在住の復員同窓生により支部結成の気運高まり創設。このころは活発な活動(駅伝マラソン、函中との定期野球大会など)が行われて親睦を図っている。特に函商上磯分校の誘致運動に協力し実現を果たした。本部に近いことから平成18年2月1日に解散した。
奥尻支部   初代支部長西本幸次郎氏(旧制29回)の逝去後、大高惠利子氏(新制25回)が引き継ぐも特段の支部活動を行っていない事から、平成31年3月には支部を返還し解散することとした。
帯広支部   昭和47年4月、本部により支部長中島与作氏(旧制13回)を確認、以降の活動は不明である。
夕張支部   昭和47年4月、本部により支部長佐藤二郎氏(旧制21回)を確認、以降の活動は不明である。

 

大野支部  

昭和47年4月、本部により支部長鍵谷毅氏(旧制34回)を確認、以降の活動は不明である。

活動不明  

昭和30年2月1日に本部により下記支部を確認するもその後の活動は不明である。

稚内・岩見沢・小樽・今金・森